院長コラム

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高齢化社会が進む中での認知症と運転免許証

 最近認知症が疑われる患者さんが診療の現場では増えてきているようです。もともと外来で慢性疾患を見ている患者さんで、来院が非常に不規則になったり、余っている薬をもってきてくださいといったら、100日以上の残薬があったりという具合です。一番多いのは、家族の人が一緒にやってきて「同じ事を何回も聞きなおしたり今言ったことをすぐ忘れてしまったりするようになった」という相談です。認知症の簡易検査をしてそれを参考にしながら、家族の話、本人との会話を通じて、認知症かなと疑いながら診察します。高齢でも全く頭がしゃきっとして自分でホームページを作ったりする80代後半の人もいます。誰が認知症になって、誰がならないのか全く予想がつきません。

 近年高齢者の逆走事故等が問題となっています。今後高齢者ドライバーの増加も予測されることから平成29年3月12日道路交通法が改正されました。75歳以上の高齢者が3年ごとの免許更新時に受ける認知機能検査で「認知症の恐れ」と判定された場合に、医師の診断が義務づけられました。そして正式に認知症と判断された場合免許停止や取り消しとなります。また「認知機能の低下が見られ、今後認知症となる恐れがある」となると半年後の再診断を課されます。逆走や信号無視などの違反をした際も臨時検査を受けなければならず、認知症と診断された場合は免許取り消しや停止の処分となります。

 運転免許更新時の検査で「認知症の恐れ」と判定された時、専門以外の一般の医師にも診断をゆだねるのではなく、もう一段階詳しい認知症の検査と判断の仕組みを専門家を含めて作り上げてほしいと私は思っています。というのも私の経験ですが、初診の患者さんで娘さんと一緒に来院され娘さんは、最近よく物忘れするので車の運転が心配です。と言われ、本人は大丈夫ですと言われました。簡易検査をしてもさほど問題なさそうでしたが、大学病院の認知症外来を紹介いたしました。診断は「MCI」だったようです。それから一カ月ほどたって運転免許証の件で診断書を書いてほしいといってこられましたが診断してもらった大学病院で書いてもらうように説明しました。今後このようなケースが出てきたら、認知症ではありませんという診断書は民事訴訟を起こされる可能性もないとは言えませんので、とても書く自信はありません。

 一方で認知症については早期発見と予防、早期の治療開始が良いといわれています。早めの治療を進めたいと思っても改正道路交通法が頭の中をよぎってつい躊躇してしまいます。認知症といってもその前段階の人を含めて色々おられます。私は認知症に関しては早期発見と治療に重点を置きたいのです。認知症の恐れありという人の運転免許適否の判断は認知症専門医にお願いするか、運転免許証を交付するところで完結させるシステムが構築(例えば専門医と相談しながら新たな検査を作成するなど)されることを切に願っています。認知症専門医でない医師(相談医を含めて)に診断書を書けというのは酷だと考えます。

2017-12-08 10:02:00

将来の医療と介護の行方

 団塊の世代が75歳以上になる2025年にあと10年を切ってきました。10年後、20年後、30年後の医療と介護はどうなっていくのかと考えると明るい気持ちになれません。社会保障費の増大をいかに少なく抑えながら、昭和36年に創設された国民皆保険制度を守っていくのかが一番の重要課題だと思われます。保険証一枚で全国どこの医療機関でも一定水準の医療が受けられる日本の医療制度はWHO(世界保健機関)をはじめ世界中から賞賛されているわけですから、これは何としても守っていかなければならない制度なのです。

 少子高齢化と財源問題がよく話題になります。総務省統計局の人口の推移と将来人口の資料を見ると、現在約1億2660万人の人口が2025年には1億2070万人、2035年には1億1210万人、2045年には1億220万人と減っていく予定です。65歳以上の人口は現在3395万人、2025年には3657万人、2035年には3741万人、2045年には3856万人と漸増し、15歳未満の人口は1583万人、1324万人、1129万人、1012万人と漸減していきます。

 すなわち少子高齢化のうち高齢化は日々の医療の進歩もあり成し遂げられていくものであり喜ぶべきことですが、少子化のほうをどうにかしないといけないことは目に見えて明らかです。仕事のあり方や家族のあり方、職場環境や福祉のあり方など、若い世代が将来に希望と安心感をもって家庭を築けるような社会の仕組みを、ハード、ソフト両面から、医療の進歩以上に発展させないと、日本という国の未来が開けてきません。高齢化により現在でも日本の1所帯あたりの人数は2.32人で、今後とも漸減していくと予想されています。

 病院から在宅へ、その合間を埋めるのにサービス付き高齢者向け住宅、有料老人ホーム、特別養護老人ホーム等の住まいに関する制度がありますが、それぞれピンからキリまであり、私のように診療所のみでデイケア等もしていないところではその仕組みがよくわかりません。患者さんたちから聞かれても分からないし、患者さんに適切に指導することもできないのが現状です。今後、認知症も増加しその家族も疲弊してくるだろう現状を、どのようにしていったらよいのかよくわからないのが本当のところです。医療、介護、在宅を含めて地域包括ケアシステムを構築していくという方針が打ち出されていますが、具体的なイメージがまだわいてきません。

 現在でも一般家庭で親と同居しているところでも、ひとたび病気になって身体介護、また認知症になって家庭内でトラブル続発といったことが結構顕在化してきています。夫婦共働きのところで介護のためにどちらかが退職して介護に携わっても、時間とともに介護する側も疲労困憊し、施設を利用せざるを得なくなってきます。しかし要介護3以上の人しか入れない特別介護老人ホーム以外は、経済的負担などから利用するのがなかなか難しい状況です。特別養護老人ホーム以外の施設がある程度の水準を維持して標準的なサービスを受けられるように、極端に営利主義的なところが自然淘汰されて、ある程度経済的にも利用しやすい制度に変化していかなくては、社会で支えるといってもそんなに上手くいくものではないと考えます。

 消費税は2017年には10%に上がるのは決まっていますが、そのあとも上昇するものと思われます。消費税が8%に上がったときは社会保障費に大部分を当てるといっていたにもかかわらず、年金は目減り、健康保険、介護保険などの徴収率は上昇し、医療費の窓口負担が所得により高齢者も10%から20%に上昇する人がでてきています。誰も恩恵を感じている人はいません。消費税増税が診療報酬と不十分きわまりない内容でリンクされていること自体許せない限りです。今後も消費税が上がっていくならば、税は診療報酬とリンクさせるべきものではないと考えます。医は仁術だとかいっていても医療機関がつぶれては元も子もなくなってしまいます。在宅へ在宅へと経済誘導しながら、あとで梯子を外すというやり方はやめてほしいものです。医療制度で総合的にみて一番優れているのは日本です。アメリカではありませんし欧州諸国でもありません。財源は当然必要なものです。

 10年後の2025年には認知症の人は約700万人になると厚労省は本年の年頭に推定値を明らかにしています。65歳以上の高齢者の5人に1人の割合です。将来、老々介護、老人独居世帯などが増大してくると、本当に地域包括ケアシステムでうまくいくのか不安でなりません。将来の人口構成の予測からいって一番キーポイントになるのは少子化の問題です。少子高齢化が続けばいびつな人口構成になってしまいます。そのためにも国は少子高齢化対策をいろいろな面から考えて最重要事項に挙げ、もっと検討し対策を打ち出してほしいものです。そうしないと30年後、50年後の日本はどうなるのか暗澹たる気持ちになってしまいます。

2015-09-28 19:10:48

日本の医療介護を含めた社会保障制度はどうなっていくのか

 現在病気を抱えてある方も、元気で過ごされている方も、現在の自分に満足感あるいは幸福感はありますか? さて私を含む多くの人々は、医療の進歩は良いことですばらしいことである、元気で長生きする人が増えることはよろこばしい、日本が何十年にもわたって平和であり続けていることはすばらしいことだと考えていると思います。

 ところが現実には健康保険料率、介護保険料率は少しずつ上昇し、年金を含む社会保障費の今後の増大が財政の懸念材料となるというような論調がマスコミ誌上をにぎわしています。本当はいずれも喜ぶべき内容であるにもかかわらず、財政の面では喜ばしくないことのようになってしまっていることに皆さんおかしいと思われませんか?

 戦争に直接かかわることなく、医療が進歩して昔だったら難しかったであろう病気にも少しずつ対応できるようになり、長生きする人が増えてきたのです。もし日本が平和な国でなく医療技術の進歩がなかったら少子高齢化の世の中にはなってなかったと思います。
本来は良いことのはずの平和と医療の進歩が皮肉にも社会保障費の増大(一般の会社では、利益を上げるための経費)を招いているのです。皆が喜ぶべき内容が手放しで喜べないような状況になってきていることに怒りさえ覚えます。

 社会経済の変化は流動的で、予測しがたいとはいっても少子高齢化社会の到来も、医療介護費の増大も予測できていたはずです。甘い見通しで長期的に有効な政策を立案せず手をこまねいてきた政府の姿勢に問題があります。

 現在の日本では、経済的に余裕のある人も、ない人も安心して生きていません。元気で時間が自由に使える今のうちに楽しく使いたいけど一体いくらのこしておけば大丈夫なんだろうという高齢者の会話を耳にしました。

 だからあえて極端なことを書きます。例えば男性90歳、女性95歳になったらこれまで長生きされてご苦労様という意味合いで、その後は国が面倒をみるという制度は如何でしょうか。当然強制でなく、任意で。ただし財産は、国に寄付するということで。そうすれば、自分の寿命を気にせず、不安(自分がひょっとして100歳以上まで生きていて、そのとき金が底をついていたらみじめだ)もある程度解消され、具体的な年齢目標があることによって、必要以上の貯金はしないでしょうし、安心して消費することが出来るようになっていくでしょう。おのずと経済の活性化にもなると思うのですが如何でしょうか。

 国民が自分の将来に安心感が得られるならば、消費税への理解も生まれてくると思います。細部は我々が選んだ国会議員や、そこで組閣された政府が考え実行していけばいいのです。彼らを選んだのは国民である我々です。国民のために、我々から給料をもらっている政治家がやらなくて誰がやると言うのでしょうか。

2015-09-28 18:53:24

日本はどこへ行こうとしているのか?

 日々の診療で多くの患者さんに接していると、今の医療介護制度の現状とその歪みに直面し、胸のつまる思いをすることがしばしばです。

 92歳男性、妻(86歳)が胃潰瘍による吐血で入院し、その後退院できず、自宅から遠い介護施設に入ったまま約10ヶ月。「思うように会いにも行けず、自炊もきつい。早く退院してきて欲しい」-。
頑張って自炊して暮らしている人に介護制度の手当は薄いのです。よろよろと立ち上がるご老人に、何のお手伝いができるのでしょうか。

 88歳女性 夫は骨折で入院し、約3ヶ月で自宅へ戻ってきましたが、以前よりはるかにADLは低下し、あらゆることに介助が必要になりました。介護保険をフルに使って、デイケアー、デイサービス、ショートスティを利用しています。介護保険の制度によれば、まさにお手本のようなケースです。でも妻はいいます。「夜、紙おむつをしていても2時間ごとに換えてと起こされます。寝ていなくてもデイサービスの日はお迎えがくる時間までには、着替えをさせて、薬を飲ませ、送り出す支度が大変なのです。いっそ、サービスがなければゆっくり寝ていられるのに、と思ってしまいます。」-。
デイケアーに行っておられる間は、ご自分の体をいたわり少しでも寝るようにいうと、「その間に、年金の受け取りや、市役所の手続き、買出しと雑用が山積みでゆっくり休む暇はありません。」 介助者を助ける制度は介護保険にはありません。細い背中がいっそう細く、背は曲がって急速な老いを加速しています。今の生活を倒れるまで続けよと国はいっているのでしょうか。

 うつ病の妻をかかえた76歳の男性。「三度の食事を食べさせるだけでもきつい。夜も眠らせてくれない。いつまで続くのでしょうか。もう限界です。」
こういう事例は枚挙にいとまがありません。介護の狭間で悲鳴をあげている人達が大勢います。国は老骨に鞭打って、死ぬまで働けといっているのです。へとへとになるまで介護して、いつまで続くかわからない状況に将来を悲観し、殺してしまったり、心中したりと自分を追い込んでしまう結果になることもあります。何とか打つ手はないかと歯がゆい思いです。

 核家族化し、子供達は自分の生計を立てるのに精一杯、そういう現実の住環境のなかで、今後、孤独死、老々介護がさらに増加してくるのは目にみえています。当然虐待や介護放棄などの悲惨な事例は増えていくでしょう。そういうことが、衣食住の満ち足りたこの日本で許されていいのでしょうか?

 第2次世界大戦後の荒廃から復興し、豊かな生活、安定した暮らしを目指してきた日本であるはずです。平和を守り、世界に誇れる保険制度をもち、高水準の教育制度と勤勉な国民性によって新しい国を築き上げてきました。その結果として、医療の進歩とあいまって長寿社会を実現できたのです。それは世界に誇れることです。しかし、この日本の目標とするところは、このような平和と繁栄の礎となって働いてきた人々に対して、年老いてなお孤独と忍耐を強いることだったのでしょうか?あまりにひどい仕打ちとしかいえません。

 高齢化予防の口腔ケアー、リハビリ、デイケアー、訪問看護、さまざまなプランが立案されています。それらは個々にみればりっぱなものです。でも今の制度を立案しているかたがたは本当に国民の暮らしの現状がわかっておられるのだろうかと疑問に思うことがあります。責任逃れの目先の改革ばかりに翻弄されている気がします。もっと大局から、日本の歩みを導いていっていただきたいのです。

 医療も介護も在宅へと導こうとしています。在宅を進めることで本当に家族に介護疲れがなく、豊かな人間らしい愛情を注がれる理想的な医療、介護が実現するのでしょうか。そのような介護は、時間と体力のある介護者が存在してはじめて成り立つものです。今の核家族制度においては、ほんの数%の家庭でしか実施できないのではないかと危惧します。

 “家族は愛情を、介護は専門職に”というモットーも聞こえます。多くの家庭では、そのスローガンが実現できるほど現実の生活にゆとりはありません。点数制で動く介護の生活にゆとりはありません。点数制で動く介護の専門職には時間や仕事内容の縛りが多く、実際は痒い所に手が届くわけではありません。現に手に届かない背中にシップを貼ってもらいたいと頼んだら、そういう仕事は入っていませんと断られた94歳の男性のケースも知っています。日本人は“情”までも失っていっているのかと愕然としました。

 今、国が目指す方向は本当に国民の幸せにつながるものなのでしょうか?根本的なことから考えなおす時期がきていると思います。第2次世界大戦後、資本主義にも共産主義にもほころびが出て、今それぞれの国が模索しているところです。日本も思い切った方向転換を考える時期ではないでしょうか。国民の叡智を結集して、日本のよさを生かした新たな制度をつくり出せるはずです。

 個人的には、スウェーデンのような高負担、高福祉の社会はどうだろうと考えています。先日もテレビの報道で出ていましたが、スウェーデンでは国民や企業の税負担は大きいのですが、国民は貯金の必要性を感じていません。高い税金を払っても、それは国に貯金することと同じで、結局税金は自分たちのために使われ、自分たちのためになることがわかっているからです。何かあれば国が支えてくれているという安心感があるのです。すべての人が何らかの形で働くことができ、支えあい、何より国を信頼しているのです。

 国を頼れず、長生きするリスクを心配し貯金をしなければならない日本の現状とはずいぶん違っていました。貯蓄に励む分のお金が動けば経済も活性化するはずです。もちろん世界に通用する産業を育成し国力を高めることも大切ですが、日本の技術力をもってすれば、今までやってこれたように、何とか世界に伍していけると思います。

 皆で働き、皆を支えあう社会、誰もが、それぞれの将来に希望をもちながら努力できる社会、それが実現できるためなら、高負担を考えざるを得ないと思います。年をとってなお、生きていてよかった、生まれてきてよかったという社会、誰もが安心して暮らせる国にしなくてはなりません。

 今一度、いっさい頭を白紙にして、いろいろな知恵を出し合って今後の日本の進むべき方向性を考えてみようではありませんか?

 高負担であってもそれが自分に戻ってくるものであり、健康や生活への不安がなくなるものであれば誰でも喜んで負担に応じるものと考えます。金だけ取って今のままでは国民は怒るでしょう。日本は第二次世界大戦後、戦争に直接縁がなかったから、そして医療が進歩したから少子高齢化したものと考えます。それはすばらしいことであるはずです。

 今の日本で一番問題なのは若者にも、老人にも、誰にも夢がもてなくなっていることと将来への不安が増大し続けていることです。将来に夢をみることができれば現在の困難さにはいくらでも我慢できるのです。それをやるのが政府だと思うのですけれど・・・

2015-09-28 18:52:05

理念ある医療制度の改革をのぞみたい。

 21世紀を迎えるや、我々を取り巻く環境は、世界情勢、自然環境、国内政治、経済、社会、教育問題などいずれの分野でもめまぐるしく変化し急速な勢いで変貌を遂げつつあるように思えます。
医療を取り巻く環境も例外ではなく、国民はもとより直接医療に携わる我々にさえ十分な理解と浸透がなされる間もなく、次々と制度改革が行われてきています。

 平成24年には医療療養病床の25万床が20万床へ(?)、介護療養病床の13万床が廃止、すなわち今ある38万床のベッドが5割にまで減ってしまうのです。
しかもレセプトの電子化も平成22年に迫ってきています。
制度改革にはまず理念が必要であるはずです。しかしその理念がまったく見えてこないのです。いや、ないと言った方が妥当でしょう。たぶん財政面だけを考えての改革だと思われます。医療費、介護費を抑えようという意図しか見えない中で実際に犠牲になっているのは一般の人々であり、その次に医療に携わる我々および多くのスタッフの方々なのです。

 当院にかかっている患者さんで1ヶ月程ニューヨークに行っていた人がいました。歯痛のため歯医者にかかろうとしたら1000ドル必要と言われ、治療せずに帰ってきたそうです。それが世界の現状なのです。
日本では一定の質の医療を平等に受けることができます。このような世界で誇れる医療制度は絶対に維持していかなくてはなりません。医療制度において、日本は世界のリーダーになりうるものだと考えます。

 少子高齢化にある日本では医療や年金の負担の話になると、現役世代の負担が多すぎる一方お金を持っている高齢者も多いとよく言われます。しかしそれは自分の寿命が分からないから、医療制度、年金制度の改悪により増え続ける自己負担を心配し、結果として老後は自分で何とかしなくてはいけないと思いつつも何ともできないことからくる不安のために、無駄遣いを減らし切り詰めた生活をしているだけなのです。

 老後はいつからかは誰も答えられないでしょう。すなわち何歳になっても老後の心配をし続けなければならないのです。死ぬまで。ある年齢になったら病気や生活資金のことは心配なく、ゆったりと暮らしていける制度を作るべきです。
そうするとお金は無用にためることなく、うまく使う方に回り消費も拡大し、経済ももっとうまく回ってゆく筈です。

 最後に、医療も介護も一体のものです。制度はできるだけ単純で誰にでも分かりやすくすべきです。
まずしっかりとした理念を作り、老若男女を問わず“生きていてよかった”と感じられる本当の意味での医療、介護、年金を含めた制度の抜本的見直しが図られるべきだと考えます。

2015-09-28 18:50:43